親父の恋文


 昭和31年に始まり、昭和38年に終わっている古い手紙の束がある。父から母へ宛てた手紙だ。

 

「この中に入っている物は全部あなたにあげるものだから」
と母が物入れになっている鏡台の椅子の中身を私に披露したのは、数年前のことだった。
ふと古い封筒の束が目に入った。
「これ何?」
「文通してた時、お父さんから来た手紙」
「!」
父のバイト先の米屋で両親は出会い、長年の文通の末結婚した、という話は随分前に母から聞いていた。でもその手紙が今も母の手元にあることは知らなかった。青森から上京する際、手紙は柳行李の底にしまわれ運ばれ、その後何度も引っ越したのに、何十年もずーっと密かに携え、その都度手紙も母と一緒に移動していたのだ・・・・(ちなみに父は結婚後、母からの手紙は捨てたそう)

 それからなんだかんだあって数年経ったある晩、私は唐突に手紙を取り出し読み始めた。封筒は酷く脆くなっていて、あちこち崩れ、持ち上げるとぼろぼろと紙埃が落ちた。消印が分かる物を参考になんとなくの日付順に重ね、古い日付の手紙を開いてみた――二十歳の男性が書いたものとは思えないような水茎の跡だった。

 “…ほんの一時語り合った君からの、小生のようなものにあまりにも親切なおたよりをいただきましたので、筆を取るものの筆不精な小生には何を書いて良いやら迷って居り…”

一見、お礼の返事と思える内容ながら隠しようのない好意にあふれ、やがてそれは恋心の吐露へとなりゆく。熱い言葉が胸を打つ。私までどきどきしてくる。どの手紙も最後に“最愛の人へ”、“忘れ得ぬ人へ”とあって・・・・果たして、これは本当に自分が知っているあの父と同一人物なのだろうか?と何度も思ってしまった。物心ついた時の父の姿と言えば、ステテコ、鉢巻き、腹巻というリアルバカボンパパのような恰好の、怖ろしく短気で口の悪いオヤジだったのだから。

 それにしても、両親はほとんど顔を合わせることなく、本当に“手紙だけで付き合っていた”のだとわかった。手紙の大半が返事が遅くなったことを詫びる一文から始まるところがちょっと可笑しい。中には北海道から送ったものもある(放浪しながら、バーテンダーなどの仕事をしていたとか)。冷たい秋雨がガラスを打つ音、布団の中から見える雪景色・・・・ほぼ全ての手紙が季節を語る箇所を含み、その風景の中に母の面影を見いだし、“逢いたい”気持ちを切々と綴って来るこれらの手紙を母はどんな思いで読んでいたのだろう。
 文通の終りの方で日付の間がしばらく飛んでいる「空白の期間」があったのがちと気になった。その「空白の期間」後、色々と変化があったようで、以後、手紙は東京から送られてきていた。最後の手紙には“アパートを借りました。”とあった。
それからほどなくして、両親は結婚した。