いつかの桜

弘前の桜の見事さを知ったのは、父が生涯免許証入れに入れていた一枚の白黒写真からだ。写っているのは弘前城の桜を背景に立つ19歳の母。りんごの剪定技術を応用した枝は“たわわ”に花を付ける。その華麗な咲きっぷりを母は私に見せたかったのだろう。

「勤めるようになったら有給休暇があるから、平日に桜見に行けるよ」
一緒に弘前の桜を見ようと母と最初に話したのは、私が学生の頃だった。社会人になった時、行こうと思えばいつでも行けると思っていた。しかし時期的に、私か母が旅行の予約を入れていたりと上手くタイミングが合わず、その度に「桜は毎年咲くのだから…」とのんびり構えていた。お互いに桜のことなど忘れていた期間もあった。
のんびりし過ぎた。
あまりにものんびりし過ぎて、約束を果たすことなく母は逝った。今年の東京の桜が満開の頃だった。

お母さん、田舎大好きだったから…と津軽の母の実家から分骨の申し出があったのは、母を荼毘に付す直前のこと。その旨を弟に告げると、
「俺、それ持って青森行ってくる」
「いつ?」
「明日」
早朝の便で発っての、東京↔青森日帰り旅になる。

弟が青森へ向かった日、私はかつての母の散歩道を歩いてた。歩きながら様々な考え事をしていた。よく晴れて、静かだった。鶯の鳴き声が響く。錆びて動かない耕運機が、ほわほわしたペンペン草の絨毯のような原っぱ(書くと美しくない)にぽつんと置かれている。もしここが海岸なら、朽ちた小船が砂浜に伏せ置かれているような光景だなとぼんやり眺めた。満開の桜が風にそよぎ、花びらがそのペンペン草原っぱへと散り敷かれていく。

母のことを知った友人たちからお悔やみの言葉が送られて来た。ある友人が、数年前に父が亡くなったが、自分は父が向こうにいるんだと思うと死が怖くなくなって…といったことを述べていた。映画「DESTINY 鎌倉ものがたり」が浮かんだ。作中、午前二時だけに出現する駅と、そこから黄泉の国へ向かう江ノ電。「黄泉駅」に到着すると、先に向こうへ行っていた人たちに出迎えられ、再会を喜び合う――

弟から母の実家の写真が送られてきた。小屋の中にはみっちりと干し餅が下がっている。ああ、母の家だ…と思った。この家こそが、母がずっと帰りたかった「うち」なのだ。あの映画をなぞれば、母はこのうちから幻の駅へ行き、幻の五能線で発ち、懐かしい同級生たちと再会する。そしてわあわあと盛大に始まる同窓会(母の宝物は同級生からの手紙と同級生名簿であり、何よりも同窓会を楽しみにしていた)――

いずれにしても、私が弘前の桜を見に行ける日はまだまだ遠い。