バールベックの薔薇

ジェリー
ジェリーちゃんには白バラが似合うって言われたことある

アイシス
あ、そ

 


 アラブ諸国で唯一砂漠がない国がある。その国には冬になれば相当量の雪が降り、夏には脈々と連なる石灰岩の岩肌が日に白い光をはね返す。アラビア語で白は“ルブナーン”。それがこの国をレバノンと言わしめた所以…と聞く。
 ある年の秋、レバノンへ行った。
パリです、と言われても信じそうな小洒落た店が並び、「SUBWAY」に大行列が出来ていて、銃弾跡凄まじい廃墟を背に戦車が路駐、海岸通りではヤシが風にそよぎ、道にぼっこり開いた空爆の大穴からはローマ時代の遺跡が顔を覗かせ・・・・というのが到着直後、目にした首都ベイルートだった。
 翌日、バールベックの遺跡を観に北東のベカー高原へ移動。ここはいにしえのラテン民族から「シリアの谷」と呼ばれ、古代より遠方からの異民族、異教徒が行き交ってきた土地と言う。バスの窓の外を、石灰岩が剥き出した斜面、うっすら生えた草地にぱらぱらと散らばる羊、葡萄棚を持つ家(この辺はワインの産地だ)、といった風景が流れて行く。
 広大な遺跡は高原の中央にあった。
ギリシャ時代の列柱の根元では、大きいのやら小さいのやら、猫が数匹ぴょんぴょん跳ねて遊んでいる。破損が酷く、もはや何がなんだかという状態のヴィーナス神殿の傍らでは老人が地に伏し、メッカへ向かって祈りを捧げている。遥か昔々、この地でフェニキア人が豊穣神バールを祀っていたら、ギリシャ人が来て都市を建設、ローマ人はこれを植民地化、キリスト教徒はそれを破壊、最後に来たアラブ人はそれらを利用、あるいは放置…と経て来た歴史、及びそのなれの果て感たっぷりな場所だ。ギリシャ文字を刻んだ台座に真っ赤な実を付けたバラが枯れた枝を伸ばしている光景は、廃れた美しさを感じさせなくもない。
 レバノン観光最大の目玉である遺跡は地元の人の「お出かけスポット」でもある。一番状態のいいバッカス神殿内でデート中の若いカップルに出会った。男の子の方は世界標準的な格好だったが、女の子の方は髪から足の先まで、体をすっぽり隠した装いだ。しかも弟の監視付き。「イスラム圏ではデート時、女の子の親が小さい弟を同伴させる」と聞いたことはあったが…今でもそうなのか。
 神殿から出たところで近所に住んでいるらしい老人に声をかけられた。最初は挨拶やたわいない事を英語で話していたが(自分は半分しか理解していない)、マムルーク朝がどうこう、この隙間から矢を射って、と次第に話が“遺跡ガイド”化してきた。む、これは勝手に喋っておいて、後で「ガイド料くれ」とくるパターンか?
「じゃ、おじいさん、元気でね」
警戒して立ち去ろうとする。するとじいさん、曰く、
「この地下に遺跡がある」
見れば確かに地面には傾斜した魅惑的な暗い穴がぽっかりと・・・・老人がライターを取り出し、しゅぼっと点火すると、そのもの凄く頼りない明かりを掲げて言った。
「さあ、行こう」
「行かない」
そうか、まあしょうがないなあーという感じの老人と遺跡の外へ。急に無口になった老人と黙々と歩き続けるのは気まずかった。実に気まずい。とにかく、何か話そう。ふと思いつき、知ってる一番長いアラビア語の一文を言ってみた。すなわち、
「ごめんなさい、私、アラビア語を話せません」(とアラビア語で)
この、たった一言の拙いアラビア語がもたらしたものかは。忽ち老人の顔に満面の笑みが広がって、花壇から鮮やかなピンクのバラを一輪手折ると私に差し出した。映画でリチャード・ギアがやってるところぐらいしか観たことがない仕草だ。
「シュックラン」
驚きながら礼を言うと、静かに微笑んで軽く手を振り、老人は去って行った。
 それは素晴らしく芳しいバラだった。こぼれ落ちた一枚の花びらですらくっきりと華やかに香った。自分は花びらを何枚かノートに挟むと、押し花にして持ち帰った。確かに持ち帰ったはずなのに。帰国後、ノートを広げても荷物を引っくり返しても、その花びらはどこにも見当たらなかった。
 どこでなくしたんだろう?