ナイル川を見に行く

アイシス
古代エジプトじゃ猫は神様だったそーな

ジェリー
今は?

アイシス
一応、偉い

フィラエ島Philae Island

1988年12月。突然、ナイル川を見たいと思った。当時の自分は図書館の臨時職員で、収入は少ないがそれゆえの自由さがあり、時間があり、体力も十分にあった。若さゆえか暇ゆえか行きたいと思ったら行けばいいんだなと軽々行動に移せるアクティブさもあった。早速パスポートの取得方法を調べ(信じられないがそこからだ)、出発直前にキャンセル客の出たツアーにすべり込み、二週間後の早朝、エジプトの首都カイロへ到着した。

カイロはまさかの雨だった。
しかも台風レベルの暴風雨。
しばらくして雨は止んだが空は暗く重たげで、しゃべると吐く息が白い。湿った沙漠から湿ったピラミッドを眺め、水溜まりを避けてスフィンクスを見る・・・・想像していたのと随分違った。

翌朝は午前3時過ぎに起床し、空路アスワンへ。ここにはパンフッレットの写真通りのエジプトの風景があった。空はカラリと群青色に晴れ上がり、ナツメヤシは水辺にそよぎ、ナイルは万年筆のインクのようなブルーブラックの水色を湛え、完全に水気を干された沙漠の砂色とコントラストをなしている。なんというか、曖昧さがない。船でナイル川に浮かぶ小島を訪ねた。ハイダム建設で水没したフィラエ島の遺跡・イシス神殿をそっくりと移築し、フィラエ島に改名された元アギルキア島だ。ここで――こういうのを粋な計らいというのだろう――ガイドさんが1時間のフリータイムをくれた。もちろん、解説もしますが、遺跡の中で一人でぼーっとしたいという方はご自由にどうぞ、と。

一人でぼーっとする方を選んだ私は、岸辺のハトホルの小神殿を目指した。ひとけのない一郭で、一人でぼーっと過ごすにはうってつけの場所だった。手近な石に腰を下ろすと風は冷たいが気分はいい。ミモザは小粒の黄の花をふさふさと集めて傾ぎ、キョウチクトウの桃色の花の先にはしみるように青い大河の滔々とした流れがある。水の揺らぎが水面(みなも)に注ぐ日の光を散らし、きらめかす様は感動的に美しかった。信じられないくらい穏やかな気分だった。その景観は茫漠たる歳月をも含んだ景観だった。景色を見ているのではなく、景色の方に自分が取り込まれている気がする。自分がどうしようもなく儚げな存在に思えてくる。何もかもどうでもいいやーという気分になってくる。投げやにり、ではなくて、些細なことでなぜあれほど悩んでたんだろうというさっぱりと楽天的な悟りに至ったような気持ちで。

帰国して一週間ほど経った頃、昭和時代が終わった。あれから随分年月が経ったが、島で過ごした時間は想像してた以上に貴重で、繰り返し自分の中で再生してきた。もし今あの場所へ行ったら何を思い、何を感じるのだろうとよく考える。その感覚を確かめに、もう一度フィラエ島へ行ってみたくなるのだ。

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