カイロの市場で

ハーン・アル=ハリーリKhan el-Khalili

エジプトの首都カイロにハーン・アル=ハリーリという市場がある。その賑わいは10世紀初頭に始まり、やがて隊商宿がひしめき、遥か海や砂漠を越えてきた品々であふれ返っていたという。

ツアーのフリータイムに市場散策した時の話。
ガイド曰く、その辺は“ごちゃごちゃしてるけど治安状態に不安なし”という界隈で、むしろ不安なのは自分(の方向感覚と、道の記憶力)の方。なら道に沿って真っ直ぐ進めばいいんだなと思い、本当に、とにかくひたすら真っ直ぐ進んだ。とはいえ少し歩くと十字路が現れ、角を曲がれば袋小路にぶつかり、と道自体がちっともまっすぐじゃない。その都度一番近い道を選んで先へ進むあみだくじ歩行だった。

市場は時代を重ね、より雑多に多国籍になっていく。日本語で声を掛けてくる男もいれば、今にもインディ・ジョーンズがカーチェイスやって突っ込んできそうな屋台やスパイス屋がある。食堂の角を曲がると、水タバコを吸う男の傍らで黒猫が食事している場面に出くわした。非日常世界においては日常のひとコマがなんとエキゾチックで絵になる光景と映ることか。

ショーウィンドウ一面、ずらりと香水瓶だけを並べた小さな店に突き当たった。その時、確かにきれいだなと香水瓶を一瞥しはした。しかし立ち止まったのはあくまでも腕時計を見るためで・・・・
ぱっと店のドアが開く。
飛び出してきた店員が、ウェルカム!本物のクリスタルガラスです、美しいでしょ?マダム、ほら、とガラス板の上に瓶を何度も落とし、チリンチリンと澄んだ音を立ててみせる。実は私は焦り始めていた。そろそろ戻らなければ…そのことを告げると、
「わかったわかった。いくらなら買う?」
紙に金額を書いてくる。いや、そうじゃなくて、と言いつつその半額を書いてやる。
「ノォ~!」
首を振りながら、先ほどより低い数字を書いて見せてくる。いや、そうじゃなくて、本当に急ぐんで…と行こうとすると追ってきて、
「わかったわかった。これならどうだ?」
いや、もう本当に時間がないんで、と言いつつも相手の示す数字を更に下げる私。
「わかったわかった。じゃあこれでは?」
ここで私の心が動いた。うん、悪くない。
「6個買うから、あともう一声」
「オッケー」
商談成立。いやー、疲れる。
さて。紺色のビニールでくるくると二重にくるんだ包みを受け取ると本気で急ぎ、あみだくじを逆走する。路地はどこも似たような景色なので少し不安になってきたが、幸い先程の食堂が現れた。もう水タバコの男も猫もいなかったけれど、猫の食器はそのままそこにあった。あの黒猫はこの店の飼い猫か、あるいは常連客か。よし、ここを曲がれば大通りに出るはず・・・・

それにしても。もう一度あの店へ行けと言われても絶対に無理だろうなあー。

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