映画「オペラ座の怪人25周年記念公演 in ロンドン」Ⅰ

天使にならなってやれる。
私の声は身に備わった美、唯一の力、たった一つの望みなのだ。私の声がこの子の人生に続く魔法の道を開いてくれる。・・・・その声を型造り、永遠に私のものにすることができる。

スーザン・ケイ『ファントム』より
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ボール&ボーのコンサートを聴いた勢いで、久々にブルーレイ鑑賞。

2011年、映画館で上映された「オペラ座の怪人25周年記念公演 in ロンドン」――海外の極上の舞台を巨大なスクリーンで観られるというごくまれな機会だったゆえ、7年前、今はなきblogに、筋追いつつねちねち長々と綴った胸やけしそうな記録を思い出し、アップ(映画館とDVDとでは映像が少し違うのだ)

 

 
どんな風に始まるのか見当もつかなかったが――
まず満席のコロッセオも然り、のロイヤル・アルバートホールの臨場感に感嘆。やはり感動には上等な舞台装置も必要なのだ。

芝居で言えば、第一幕第一場。オークション会場。
右に椅子に身を沈めた老ラウル、左のベールの婦人はマダム・ジリーか?朗々たる声で凛と競売人を演じるのはアール・カーペンターだ。

やがて、666番‘シャンデリアの破片一揃い’。
そして――OVERTURE!!

衝撃を芯に食らって内からしびれ、引き込まれ、高揚していく快感…!
浮かび上がったファントムの姿はあたかもこれの演奏者が彼であるかの如く。脈打つメロディーはオペラ座の鼓動となり、時を払い、まばゆさを甦らす――言うなれば、ここが肝心。ここで音に弱さを感じさせる劇場は失格である。今回の編成は通常の倍以上。迫力のオーケストラが中空のボックスに在り、厚みを増した音楽は美しく圧倒的な響きでもって物語を統べ括りゆく。

場面は「ハンニバル」のリハーサルへ――
正しい(?)オペラ・プリマドンナ体型のカルロッタが待ち構え、凄まじい熱唱を披露。映画ではクリスティーヌの紹介の背景と化している「ハンニバル」のバレエだが、今回は正に‘オペラの華’、華麗なる見どころ。プリンシパル・ダンサーが力強くしなやかに最初の跳躍を見せた瞬間、その高さと滞空時間の長さにハッとする。

オーケストラは音色豊かに心地よく奏で、ダンサーを増した豪華な群舞は、ああ、バレエを観ている…という幸せな見応えを与えてくれる。

バレエを中断せぬようリハーサル後、客席通路より現支配人、新支配人アンドレ、フィルマンが登場。映画の彼らに慣れていた為、フィルマンのがめつさ、アンドレは純粋に音楽が好き♪とここまで性格を異にするものであったかと驚く。皆ざわめき、自分の引退話を始められぬムッシュー・ルフェーブル。そこで、
「マーダム、ジリー」
弱った彼の呼びかけに、ドン!と床に杖をひと打ちのマダム。
忽ち静まり返る舞台――このマダム・ジリー、なんか怖いのである。

‘よくあること’に怒り去ったカルロッタの代役に、メグはクリスティーヌを推すが――アンドレに父を変人扱いされ、勇気が萎えたか歌声はかすれがちに(通常は映画同様、最初から上手かったかと)。フィルマンも、このコでいくか?チッ…という態度でスキットルから一口。逃げようとする彼女をマダムの杖がとどめ、目覚めるように、花開くように、クリスティーヌの歌声が輝き始める・・・・・・

Brava, Brava, Bravissima……

天上から響く‘天使’の賛辞に顔を上げるクリスティーヌ。
欲を言えば、メグだけはもっと若い人にやって欲しかったが(映画が可愛すぎた)。映画版には入っていた楽屋を去り際のマダム・ジリーの、何か警戒と微かな恐れを含んだような横顔が、DVD化された際、入っていなかったのは少々不満だった。

楽屋に現れた紳士が幼なじみのラウルと分かり、顔をほころばすクリスティーヌ。貴族然とした映画のラウルに対し、こちらは声も性格も顔も強い(目張りが気になる…)。映画ではファントムであった赤いバラを贈るのは、ここではラウルだ。

クリスティーヌは焦る――昔の私たちとは違う・・・・。
音楽の天使と父の思い出、ラウルの思い出。幼い頃は全てをつなげたままでも良かったけれど・・・・ラウルが楽屋を出るや否や彼女は父の写真をしまう。

途端、天使の声が轟く。

怯え、崇め、許しを請うクリスティーヌの言葉は、次第に姿を現して欲しいという切望を歌い上げるものへと変わり・・・・・開いた鏡の向こうから差し出される手。ファントムのマントが彼女を包み去る。戻ったラウルの台詞は‘Christine!’のみ。なにしろ映画に慣れていたので―― 時折クリスティーヌの手ならぬ手首をぐいとつかみ、クリスティーヌを引っ張って行くファントムにはちょっと戸惑った。なにはともあれ、やっとRamin Phantomの歌声が聞ける!! Sing for me!

ルルーの原作で、ファントムの声のことをクリスティーヌはこう述べる――〈声〉には私に歌って聞かせることによって、自分のところまで私を引き上げる力があり、その素晴らしい高揚に私を一体化させた、と。私はもう歌っているのが本当に私かどうかわからなくなり、怖くなってしまった!・・・・・・と――“The Phantom of the Opera”はその一節を彷彿させる。

ファントムの地下の棲家へ。
I have brought you….. と映画だと抑えた声で始まり、居丈高とも懇願とも聞こゆる歌も(この時のGerryの背中が好きだ)、舞台では、全身でパイプオルガンを激しく弾き鳴らしての揺さぶり打つような希求と響く。こうなるとラミンの息づかいの音が単なるブレスか息切れか、演技としての吐息なのかよくわからなくなってくる。いつしかシエラの頬を涙がつたっているのに気づく。

“Music of the Night”はファントムの眼差しと手の仕草から目を逸らせなくさせる。張り広げた彼の手の指からは、なんらかの‘気’でも発散されているかと思うほど。歌声に酔いしれたように彼の肩に頭をもたせるクリスティーヌ・・・・感に堪えない!というように吐息混じりの声をもらすラミン・・・・のセクシーさにため息つく自分。

クリスティーヌの顔が自分の顔に間近に迫った瞬間、ファントムが顔を背けたのは己の素顔がばれる警戒からか、彼女の自分へ向けられる純粋な憧れのまなざし、あるいは彼女の美しさに気後れしたからか。

Touch me… と映画では顔の素肌の方にクリスティーヌの手をいざなうが、ここでは彼女の右手がマスクに伸び・・・・さっとクリスティーヌの手を引かせるファントム。夢に酔いつつも警戒心を解くことはない。

let your fantasies unwind…. の少し後、夢見心地な表情でファントムを見つめたまま近づいてくるクリスティーヌに、押されたようにオルガンにへばりつくファントム。彼女を連れてこられたことで興奮しているようでもあり、映画のファントムのように‘音楽の王国’を、さあ・・・・と手をとり、ゆったりと案内するような余裕はない。

今回は花嫁人形(マネキン?)はなし。感極まったように失神するクリスティーヌを素早く抱き上げ(この時、ファントムが小声で発する「あっ」は、品川プリンスシネマだと右の席の方が大きく聞こえる)そっとボートに下ろすと、この上なく大切なものを扱う手つきで自分のマントをかけてやる。彼女を見つめる瞳がとても愛しげだ。

目を瞑り、浸り、ペンを走らせ、ファントムは作曲に没頭する・・・・周りを忘れる位。クリスティーヌは思い出す。ボートの中にいたのは‘angel’ではなく‘man’だったことを・・・・その姿を見たい!ひと目・・・・悪戯な女の子っぽくマスクへ手を伸ばし――大柄なGerryの、ドスの効いた荒々しい怒りもすごかったが――声に激情のパワー有りあまって浴びせられるラミン・ファントムの怒りの、いかに恐ろしいものかは!

にも関わらず、すさまじい形相からとつとつとこぼれる美への憧れ、愛を求め歌う彼の声の、なんと悲しく、哀れまずにいられない切なさを湛えていることか・・・・。

場面変わって支配人のオフィス。商売繁盛で笑いが止まらないフィルマンの所へ、ファントムの手紙片手にラウル、怒り心頭のカルロッタ、ピアンジがやって来る。ラウルがカルロッタの手紙を取り、彼女はピアンジを睨み、彼はアンドレを睨み、アンドレはフィルマンを睨み、フィルマンは・・・・って誰もおらん(たまに挟まる支配人コンビの小芝居が可笑しい)

「プリマ・ドンナ」はフィルムならではの移動の妙味で、映画の方が断然おもしろい。逆に劇中劇「イル・ムート」はこの舞台の方がいい。‘ご老体’の低音の深いこと!「♪アーーディーーオッ」の響きに聞き惚れるほど。

己の要求を無視された報いをファントムは忘れない。
腹話術でカルロッタの声をヒキガエルに変え、主役を交代させただけでは済まず。セルゲイ・ポルーニンの美しいバレエ、美しい音の底に不吉な不協和音が交じる。キャット・ウォークにパンジャブの投げ輪を手に迫るファントムの姿。そして、死――

怖い!怖い!・・・・おぞましい・・・・!
逃げたい・・・・地下から一番遠いところへ!
クリスティーヌは屋上へ。ラウルも彼女の名を呼びながら後を追う。と、別の声も彼女の名を呼んでいて・・・・恐怖に崩れこむ彼女にラウルが手を差し伸べる――。ところでこのラウル、あまり優しくない。クリスティーヌの言葉を信じちゃいないだろという顔だ。だが彼女が何者かに怯えていることは事実と信じる。映画のラウルが彼女を匿い守るなら、このラウルは彼女の盾となり戦おうという威勢のいい男だ。声にも優しさは少ないが響き抜群、歌声すら頼もしいヘイドリー・ラウルである。

ファントムとラウル。闇と光。
“All I Ask of You”は二人の男の存在、彼らの属するところの違いを際立たせる。怯えつつも、ファントムの甘やかな音色は私の魂を満たし、ファントムの瞳は・・・・というクリスティーヌの言葉に、自分への想いの片鱗を見出し、ゆえに続く彼女の言葉にファントムは耳を傾けていたのかもしれないのだが――

二人が下りた後、屋上の装飾の陰からファントムが現れる。
声が啜り泣いていた。
実際ファントムは彼女と何を約束していたわけではないけれど。自分が与えた声でラウルはクリスティーヌに気づき、幼い恋心を生涯を誓う愛へと変えてしまった!クリスティーヌは私から離れようとしている――二人の幸福そうな歌声が立ち昇るように響く・・・・許せなかった。幸福ではなく裏切りが許せなかった(たぶん)。‘No,…No….’と歌声に両手で耳を塞ぐラミン・ファントムの姿が胸に迫る。

舞台はクリスティーヌを主役に無事終了。
笑顔でカーテンコールに応えるクリスティーヌ。
場面に今日という日を呪うファントムの絶唱が被さる。最上階ボックス席に現れたファントムは杖を突き出し、杖が、シャンデリアが火花を噴く。悲鳴が上がり、皆が逃げ惑う中立ち尽くすクリスティーヌ――
唯一、彼女だけはこれの意味が理解できたに違いなかった。

つづく